deli菓子

有田真平のブログ

ありがとう。。。

24:00 12-31


2005年も残るところあと1日。
毎年、この時期になるとどことなくノスタルジックな気分になる。


幼い頃は、毎年年末年始になると
今は亡き親父に連れられ、家族で旅行に行ったものだ。


父はとても厳格で、
毎年元旦には
家族全員・要参加の『年始の儀式』を行った。


豪華なおせちが並んだ座敷。
家族全員が正座をしてテーブルを囲む。
まずは…
家族全員でお屠蘇を酌み交わして回る。
「明けましておめでとうございます。
 昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。」


家族同士だが、
まるで取引先の相手と挨拶をするかの如く、丁寧に挨拶をする。
ボクも家族全員のもとをまわり、酌み交わしたものだ。
今考えると、滑稽な図式。


そして。。。
父親の挨拶が始まる。
それはまるで…
校長先生や政治家のスピーチのように長く、
それでいて、子供にとってはどうでもいい内容。
会社が上手くいっていた年の正月のスピーチでは、
「今年はお前ら全員を海外に連れて旅行に行く!」
「今年は新たにビルを建てる!」
などといった、目標が掲げられたものだが…
実現された記憶はない。


父親の挨拶が終わると。。。
今度はジィちゃん→バアちゃん→母親→長男→次男→ボク…
という順番で挨拶をしていく。
『ボケる』とか『短く済ます』といった概念はそこに存在しない。
ちゃんと『去年の反省/今年の目標』を話さないといけない。
ものすごく怒られるから。


それが済むと。。。
ようやく食事がスタートする。
子供にとってはあまりモチベーションの上がらないおせちを頂く。
お腹一杯。


だが。。。
まだ子供達はリリースされない。
というか、まだ席を離れられない。
なぜなら『アレ』をもらってないからだ。


こんな長いヘンテコな儀式に付き合うのも、苦痛極まりないスピーチも、
全ては『アレ』のため。


『お年玉』


儀式が始まってから数時間、父親の酒がほどよく進み、
上機嫌にならないと頂けないのだ。


もらってからも儀式は続く。
本来なら、子供達は即金額を確認したいところ。
しかし、すぐに席をたとうものなら、容赦なくツッコミが入る。
「お前はイジ汚い!」と。。。
だから、もらってから一時はその場で父親を接待する。
子供ながらに父から学んだクライアントの機嫌取り。
そして、空気読み。


大体、9時に始まり、12時ぐらいに終わる毎年の儀式。


その厳しかった父親はボクが二十歳の時に死んだ。
地元・熊本を離れて13年。
ボクは正月を地元・熊本で過ごしたことがない。
例の儀式を味わうこともない。
25歳ぐらいまでは、正月は地元に帰りたくなかった。
東京で遊んでいたかったから。


でも、年をとって今になると、あの儀式が懐かしい。
この年末年始になると、まるでトラウマのように
「ああこの時期が来たなぁ・・・」と独特の妙な気分になる。
未だに条件反射的に『年始のスピーチ』を考えてる自分がいる。
『今年の反省/来年の目標』


あの頃はイヤだったけども、
こうして一年の節目をきっちり感じることの出来るボク。
父親に感謝です。


あと。。。
故郷・熊本にいるお母様。
今年も帰りません。
よいお年をです!


いつもありがとう。